Untitled

kooboo-logos.jpg
百年蔵の再生日記  
高木正三郎氏(一級建築士・建築工房 代表) 

設計+制作/建築工房

この「百年蔵の再生日記」は、2011年10月8日の火災当日から百年蔵の再生に取り組んでいだいた、高木正三郎設計士による、火災当日から営業再開日までの記録です。

多百年蔵の再生〜2011年10月08日(土)

2011101214484803d.jpg

めずらしく同業の方々と、なぜか西南大学の学食で、昼食をとっていたところ、I副社長から電話を受ける。「百年蔵が燃えています。」びっくりして、あっさり、学会の作品発表会を置き去りにして、現場へ急行。町並みの間から煙りが上がっていて、想像以上に大変な状況である。警察や消防が道路を封鎖し見るからにフル稼働で消防活動を続けていたが、西側の厨房から東側へと棟木伝いに燃え広がっていった。2006年からリノベーションの設計者として関わってきたが、それらの、私が加えた僅かな造作よりももっと大きなものが焼失していった。出火から鎮火まで4時間。東西に延びる棟木がまるで導火線のように燃え進み、それが燃え尽きることで漸く火は勢いを収める。教会でいうなら身廊の屋根が全て焼失、側廊がギリギリ延焼を免れた。
2006年に手を加えた「壱番蔵」には、火がトップサイドライトを空ける。これから披露宴を行うはずの状態のまま、その空間には静かに新しい光りと風が降り注いでいた。

多百年蔵の再生〜2011年10月09日(日)

午後から、早速、再生計画の打合せのため、百年蔵へ。昨日の鎮火直後、既にI副社長から、再生の意志を聞いてはいたが、今日も、山積みの罹災処理の最中、未来の構想に気をそそがれる。もちろん、将来の方針が決まらないと、罹災後の解体計画が決まらないということでもある。また、言うまでもなく、日本中の古い建築が必ずぶち当たっている建築基準法が、その将来計画の眼前に立ちはだかる。いずれにしても苦悩の決断だ。

百年蔵の再生〜2011年10月10日(月)

20111012164918e2e.jpg

午後から、Y組社長と百年蔵へ。新しい復興方針が早くも決まり、その打合せへ。来年一月からの再スタートまでに、どこまでの工事ができるか、即決を求められる。同時に、今のこの状況を見ながら、とりいそぎ、明日、誰が、何をすべきか、これもまた、段取りが頭の中を錯綜する。
所々に引っかった瓦がいつ落ちてきても不思議でない燃え尽きた小屋組の下を歩きながら、再生像を想い描く。メディアでは、全焼などと言う言葉を使っているが、これは事実無根、むしろ、あの火焔のすさまじさの割に、焼失した部分は、少なくとも機能的な損害としては、極小であったということが判明する。とりあえず、燃え尽きた屋根を仮にでも葺き、消防活動により水を被った電気系統等を復旧しさえすれば、実は、事前の状態へ戻るのではないか、ということが解った。後は、年内にこの労働量が確保出来るか否か、だ。

博多百年蔵の再生〜2011年10月12日(水)

201110121947303de.jpg

世の中は三連休であったが、その間に段取りができたことによって、再生工事の第一歩が、今日、解体撤去工事として口火を切った。百年蔵の役員、従業員の方々が、一丸となって、絶え間ないお見舞いの迎賓、蔵内の整理等、事後のフォローに勤しんでいる姿を、目に留める。悲しみのどん底から、未来を描こうという雰囲気は、もしかしたら東北の地の震災と同じ境地であるのだろうか、などとも少し思った。環境としてはマイナスであっても、こういう風景は別の意味で美しいと思える。
焼け残った屋根の復旧をどのように行うか、完全には決まっていない。木造は、教科書通り、燃えやすい反面、炭化するのは、表面の2センチ前後で、芯まで燃えないから、細材以外は燃え残る。表面をかきむしったところ、やはりどこも1センチぐらいで、その内側は、生木のままである。表面の炭化したフレームを残したまま、新材を加えることによって、元のカタチの屋根を再生するというのはどうかとしばし考える。思えば、焼き杉の板壁は、その防火性や防腐性の向上のために、わざわざ燃やして使う外壁の仕様である。断面欠損だけを注意すれば、むしろ製材状態よりも、性能が高いと考えられないか。消防署に尋ねてみたところ、そういう事例は多々あるという。

多百年蔵の再生〜2011年10月13日(木)

20111012164918bfa.jpg

百年蔵が、多くの人々に愛されていることを初めて知る。身内がタクシーで、商店で、美容院で、百年蔵の火事のことを切り出すと、あの蔵は良かったのにと、賛美の言葉が次々に出てくる。来年挙式を予定していた人々からは、何時、どんな風に再生されるのか、あの、瓦の大屋根の美しい風景はどうなるのかと、詰め寄られる。百年蔵には火災後僅か4日の間に、たくさんの見舞客と、電子メールや手紙が殺到し、元通りの復興を異口同音に願われる。皮肉にもこの災難を通して、百年蔵が地域の、もしくは、日本人にとってかけがえのない風景のようなものとなっていたことを知る。
百年蔵の大事な風景はここだろうと私が思っていた、中庭からの二段屋根の風景は、やはり、多くの人々からも愛される大事な風景であった。残念ながら、主倉の棟の焼失により、奥に見えていた二段目はなくなる。ここを元通りするには、より多くの時間と費用が必要になるから、より多くの人々に迷惑がかかる。ここで披露宴を行いたいという人々は、ホテルなどの一般的な式場への振り替えが難しい。大事な式典はこの風景でなければならないという感性の人々にとって百年蔵の長期休業は、価値感の妥協、生活文化の妥協ということになる。
来年1月再スタートの青写真を今日、提出。一段目は現存の存続というより、瓦を新調し、漆喰のなまこ壁を新調する。一文字葺きの瓦、漆喰のなまこ造形は、共に手間のかかる伝統工法。加えて二ヶ月の工期とこの大面積。間に合うかどうかの大工事である。一方、100年以上を耐えてきた波打つ屋根面、当面を繕ってきたばらばらの瓦、横たわるプラスチックの樋などが一掃されるという意味では、従前よりも美しい屋根が出現するのではないか、と思い描いている。

博多百年蔵の再生〜2011年10月15日(土)

20111015181234b84.jpg

今回の災難を受けて、様々な一掃が行われる。電気配線の整理は、その大きな部分である。なにしろ電気が無かった時代からの建物であるから、新築のように、最初から系統立った配線計画というのが、ない。ゼロの状態から、各時代に、様々な必要により、加算され、堆積してきた。電気配線は、通常、引き算の概念がないから、使わなくなった配線を撤去しないまま、新しいものが足される一方である。百年蔵などの古い建築では、概してそういう積み重ねが束になり、屋内側に露出配線となって張り巡らされた状態になる。この期に、これらを一掃するという、膨大な作業に踏み切った。根気のいる作業である。